2006/3/7

「群衆」1941年
監督:フランク・キャプラ
出演:ゲイリー・クーパー、バーバラー・スタンウィック

ネタが上がらない新聞記者のアンは
腐った政治を粛正するために
クリスマス・イブに市庁舎から投身自殺するという男
ジョン・ドーの話をでっちあげで公開する。

瞬く間に世間の話題となり、
自ら自分は架空の人物ジョン・ドーと名乗る浮浪者から
オーディションで一人を選び、ジョン・ドーを演じさせる。

ジョンはたちまち国民の心を掴み国民運動にまで発展する。
一躍国民の英雄となったジョンは絶大の支持を得る。
だが、次第にアンに恋心を抱き
架空の人物を演じることに罪悪感を覚えるジョン。
ファンの熱い信頼からやめるにやめられなくなったジョンは
本物のジョンとして目覚める。

そのジョンの人気を利用して
大統領になるための選挙の票稼ぎにしようとする政治家。
アンとジョンは騙されて利用されていたのだ。

正義感から偽物のジョンから本物のジョンへと変わるジョン。
しかし、政治家の陰謀により、彼の声はかき消され
偽物とバラされ、国民の信頼を失って潰されてしまう。
絶望した彼は、クリスマス・イブに自殺することで
本物のジョンとして自分の正義を証明しようとするが・・

「死ぬなら生きてやり直すべきよ。あきらめちゃダメよ」

なにかと芸術的うんぬんと理屈をかざす映画は嫌いである。
キャプラ映画は、その甘ったるい夢のような理想主義を
キャプラコーンと皮肉って呼ばれている。
それでもいい。
人には合う映画と合わない映画があるのだ。
ただ、この映画がわたしの心に訴えてくるものがあっただけだ。
わたしはキャプラのような純粋な心を持ち、
善人でありたいと思う。
周りがなんと言おうと、これがわたしの人間性なのだ。

わたしは、ある英会話学校の不正を知って
学校側に抗議したが、彼らは事実を隠ぺいし
わたしは最低の生徒というレッテルを貼られ
退学に追いやられた過去がある。
弁護士にも相談したが
ハイリスクローリターンの裁判だと断られた。

そういう過去を持つわたしは
ジョンの姿が自分と重なって見える。
一人の正義の声は、
多数の捏造された虚実の嘘の前では無力である。
それが現実だ。
おかげで、わたしは数年間うつで苦しんでいる。

しかし、人間一人一人の力は弱いが
お互いが助け合って団結すれば大きな力となり
世の中を変えることができると信じたい。

映画では、悪に敗れ惨めなジョンを
数少ない彼の支持者が、彼に希望を与えてくれるが
わたしには、このように救いの手を差し伸べてくれる
理解者はいるだろうか?
その時が来たら、わたしはうつを克服して
再び人を信じることができるかもしれない。